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「いつも自分らしく生きたい」 奈良 順子

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「いつもこれからも、自分らしく生きたい」―奈良 順子


「パンアメリカン航空」
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奈良順子、東京都渋谷区恵比寿に生まれ育つ。都立多摩高等学校卒業後、日米会話学院英文秘書科(四谷)に入学。同学院二年次在学中、米国フラッグキャリア、パンアメリカン航空(通称パンナム)のスチュワーデスとして採用される。 年齢二十一歳以上という規定の中、十九歳での入社はパンアメリカン航空初のケースとなる。日本人受験者八千人中、五名の採用だった。一ドルが三百六十円、「世界のパンナム」と言われた時代だった。マイアミでの訓練を受けるため、渡米。ベトナム戦争の最中だった。

プロフィールパンナムカレッジ パンナム卒業2
「Pan American Airways, Internationl Stewardess College」(マイアミ)修了
日本を含め、欧米一四ヶ国から採用された二十二名の同期生と共に、日夜厳しい訓練を受けた。航空業界の専門知識、緊急時訓練、機内サービス、接客マナーなど、エアラインで働く為の理論と実務を学んだ。その他、多文化理解、インターナショナルマナー、グルーミング等、国際社会で仕事をするための訓練が行なわれた。訓練期間中、数十科目の試験が行われ、八十五点以下は即刻国に帰されるという厳しさだった。二時間ほど仮眠をとるだけの日々が続いた。


プロフィールホノルル
「ハワイ・ホノルルベース」世界一周便に乗務
パンナムカレッジ終了後、寝食を共にした同期生たちは、それぞれ、ニューヨーク・ロサンジェルス・サンフランシスコ・シアトル・シカゴ・マイアミに配属された。自分を含む日本人五名は、ホノルルベースとなり、主に世界一周便に乗務した。海外では日本人観光客をほとんど見ない時代だった。

「世界の光と影」
赴任先となったホノルルでは快適な生活が待っていた。世界一周便には、各国のVIPが毎回搭乗された。誰もがとても優しかった。しかし、自分が世界をまわり、実際に目にしたものは、ベトナム戦争で傷ついた少年兵たちの姿と、途上国の子どもたちの貧困だった。仕事やホノルルでの生活に感謝しながらも、心は満たされることはなかった。もっと自分らしい生き方があるのではないかと思うようになった。


「シンガポール航空
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パンアメリカン航空退社後、帰国。マレーシア・シンガポール航空が分離・独立した「シンガポール航空」に、日本人スチュワーデス第一期生として入社。筆記試験は免除されての採用となった。アジア路線を中心に乗務した。当時のシンガポール航空はまだまだ世界で無名の弱小エアラインだった。

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プロフィールSQチョン先生
「弱小から最強に」
六ヵ月間の入社訓練を担当されたチーフ・インストラクター・Peter Chong氏との出会は、自分の過去のサービス概念を大きく変えるものとなった。本当のサービスとは何か、チョン先生から徹底的に学んだ。先生の教えが、現在に至っても、自分のサービス概念の指針となっている。弱小といわれたシンガポール航空だったが、世界No.1のサービスと評されるエアラインに成長した。トップエアラインとして数々の賞を受賞した。同僚たちと共に汗を流し、弱小から最高へと這い上がっていく醍醐味を全身で感じる年月となった。


「ノースウエスト航空」
プロフィールノース順子顔
息子が一歳の時に、ノースウエスト航空フライト職に復帰した。ホノルルをはじめ、シアトル、ロサンジェルス、シカゴ、ニューヨークなどアメリカ主要都市へのフライトに乗務。日本人フライト職の子連れ入社はノースウエスト航空初となった。子持ちの女性が企業に入社するのは考えられない時代だった。子どもを育てながらの仕事は大変だった。この経験が女性たちの励みになってくれればと思う。


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「ベトナム戦争孤児をアメリカに送るフライトに乗務」
ノースウエスト航空では、ベトナム戦争孤児をアメリカに送るフライトに乗務することもあった。機内いっぱい溢れる子どもたちの涙を見て衝撃を受けた。戦争ということ、親子の絆ということを深く考えさせられた。

長年のフライト生活を通し沢山の経験を積むことが出来た。世界中の人々、上司、同僚との出会いが未熟な自分を育ててくれた。厳しくも温かなパンアメリカン航空、シンガポール航空、ノースウエスト航空に心から感謝したい。



「スカイビジネススクール」若者の夢の始まり
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「自宅で三人の生徒からスタートした」
ノースウエスト航空退社後、子育てをながら、自宅で三人の生徒に英語・ビジネススキルなどを教えるようになった。

向かって左は、当時、OLの荒井さん。シンガポール航空のスチュワーデスとして最優秀の成績で入社した。 中央は都立高に通っていた惣賀さん。高校卒業後まもなくスイスの最大手銀行を受験。大卒で金融経験の受験者、百数十人の中、十九歳の惣賀さん一人が採用された。 右端は、私立高三年生の山口さん。卒業後すぐにアメリカに留学。カリフォルニア大学バークレー校を卒業した。

このことが、後に三十余年続けた「スカイビジネススクール」のはじまりとなる。


人材育成「スカイビジネススクール設立」高田馬場
★Sky Business Junko Nara
高田馬場にスカイビジネススクールを設立。国際社会で働きたい人たちの就職受験指導を目的とし開設した。


スカイ高田馬場
「日本全国から生徒たちが集まってきた」
生徒三人からはじめたスカイビジネススクールだったが、日本全国から生徒たちが集まるようになった。国際社会に対応出来るスキルと強い精神力を養うと共に、弱い立場にある人々の心の痛みが分かる人材育成を目指した。


プロフィールスカイ浅見
「小さな学び舎から数千人の生徒たちが世界五大陸に」
日本人乗務員を採用する五大陸の全国営エアラインをはじめ、大手外資系企業、国際機関などに約五千名を輩出した。


「シンガポール航空本社トレーニングを受託」
プロフィールシンガポール航空飛行機
シンガポール航空本社からの要請で、新人乗務員のトレーニング、および、現役フライトアテンダントのリフレッシイング・トレーニングを担当した。シンガポール本社、東京支社で訓練を行い、訓練の他に機内アナウスのリメイク等も行った。


「ベトナム航空本社訪問」
プロフィールベトナム航空本社

ベトナム航空三人

ベトナム航空会談 
長年、ベトナムを訪問したいと思っていた。ベトナム航空本社で、Director・Tran Van Vinh氏と会談をさせて頂いた。スカイビジネススクールの生徒たちがベトナム航空のフライト職で頑張っていると、とても喜んで下さった。会談の最後に、ベトナム戦争孤児をアメリカに送ったフライトのことをお話しした。何ともいえない安堵感と共に、次に進む勇気を持てたVin氏との会談となった。


「スカイビジネススクールの閉校を決意」
スクール開設から二十五年が過ぎたある日、閉校を決意した。スクール業のこの仕事はやり抜いたと感じるようになった。周りの人たちにもったいないといわれた。でも、それでも、閉校の決意は変わらなかった。

思い返すと、スカイビジネススクールは、外資系エアラインを中心に国際社会で働くための、日本で初めての就職予備校であった。日本の多くの若者と、世界五大陸を確実に結ぶことが出来た。約五千名が世界に羽ばたいていった。卒業生たちは今、各国のエアラインをはじめ、各分野において、一人ひとりが自分らしく生きている。

子育てをしながら、スカイビジネススクールの運営に長い年月を費やしてきた。今度は、自分自身大学で学び、充電したいと思うようになった。


       
「早稲田大学」入学
プロフィール早稲田順子
2004年4月 早稲田大学(第二文学部)に入学。社会・人間系専修。大学では、社会教育、女性学、子ども教育、福祉など幅広く学んだ。なくてはならない貴重な四年間となった。早稲田大学で学んだことは自分自身の可能性を広げ、同時に自分が長年経験してきた分野において理論をもってそのことを深めるものとなった。2007年3月「社会教育主事」になる資格を取得。2008年3月卒業。


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「生徒最後の一人まで」
高田馬場スクール閉設後は、残された生徒さんたちに初台の自宅まで来て頂き授業を続けた。新たに入会したい人たちも後を絶たなかった。自分自身大学に通いながら授業を行った。スカイの卒業生たちが講師として応援に駆け付けてくれた。一人ひとりが夢を叶え巣立っていった。閉校を決意してから、最後の一人まで教え終わるのに五年近くかかってしまった。そのことに悔いはない。早稲田大学卒業と同時に、三十余年続けたスカイビジネススクールの仕事をやり終えた。


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小さかった息子もすっかり大きくなった。米国の大学で博士号(教育学)を取得した。人々の役に立てるような生き方をして欲しいと願う。


「APEC・女性リーダーズネットワーク」早稲田
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日本で開催された2010年「APEC」。同年9月18日、「APEC・女性リーダーズネットワーク(WLN)」会合が早稲田大学で盛大に行われた。司会・進行は、恩師である、早稲田大学 文学学術院 村田 晶子教授が担当された。

奈良他登壇者
「自分らしく生きるための力(キャリア)」
本会合のテーマである「自分らしく生きるための力(キャリア)-女性の経済活動への参画と自立-」(午前の部)に、パネリストとして、また、午後の部の分科会では、「アジアと日本をつなぐ女性の力(キャリア)」と題し、講師をとして参加させて頂いた。「自分らしく生きるための力」とは何か。深く考えさせられる会合となった。


「若者・女性の育成は最重要課題」
2011年6月25日 199極小
大学卒業後、フィリピン・セブ島を中心に東南アジア諸国に長期滞在した。アジア諸国はすっかり変わっていた。サービス関連事業に携わり、また、ビジネス、教育、貧困問題など、フライト職や観光では知り得なかった東南アジアの『リアリティー』を深く知ることができた。若者・女性の育成こそが、企業や国、そして社会を支える原動力になることを再認識させられた。

2014年、拠点を東京に移す。スカイビジネスを再開。現在に至る。


「スカイビジネス公式HP」


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