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【仕事観】「坂本典子さん」奈良順子

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坂本 典子さん
米国「デルタ航空」フライトアテンダント
旧スカイビジネススクール卒業生

(旧)スカイビジネススクールの卒業生は、エアライン業界を支えてきた人たちであり、文化の香りがした航空業界の先駆者たちでもある。 そんな彼らを私は全員信頼することができる。

その中で、坂本典子さんは、特に印象深い卒業生の一人だ。現在彼女は、ユナイテッド航空に並び、世界最大手といわれる、米国「デルタ航空」でフライトアテンダントとして勤務している。

なぜ彼女を信頼出来るかというと、彼女の物事に対する考え方が素晴らしいと思えるからだ。そして、自分が決めたことに対し、心を込めて淡々と続けていく。

私が知る限りでは、彼女は2度大きな決断をしなくてはならない時期があった。

一つは、働く場所となる企業の選択だった。

彼女は第一志望であったヨーロッパ系最大手のエアラインに合格した。訓練に出発する日取りも決まり、勤務していた銀行を退社した。しかし、湾岸戦争が始まるかどうかの不安定な時期で、急きょ訓練のための出発が見送られた。彼女は自宅待機となってしまった。不安定な情勢は思った以上に長引き、本国での訓練の目途はたたないままだった。

もうすでに銀行も辞めてしまった彼女は途方にくれていた。いつ終わるか分からない戦争に対する不安な日々が続き、エアライン業界もダメージを受けていた。自分はもう入社出来ないかもしれないという絶望感もあったにちがいない。そんな状態で1年半が過ぎていった。

彼女は痛々しいほどだった。頑張って頑張って第一志望のエアラインに数百倍もの倍率を突破し合格したのだ。他の航空会社を受験するなんて考えられなかったのだろう。しかし、私は、他のエアラインを受験してはどうかと勧めた。

色々考え悩んだ末、彼女は受験することを決めた。丁度、フライト職を募集している米国「ノースウエスト航空」を受験した。一次、二次、三次、四次と、試験が進むにつれて、ノースウエスト航空に真剣に向き合うようになったのだと思う。数百倍の倍率を突破し合格した。 訓練でアメリカに行く日取りも決まった。

そんな矢先、ヨーロッパの第一志望であった航空会社から、訓練に出発できるとの通知を受け取ったのだ。

彼女の心は揺れているに違いないと思った。

私はこう言った。

「典ちゃん、ヨーロッパの会社に行ってもいいのよ。ノースにはご迷惑をかけるけど辞退すればいいんだから。それに、私がノースに昔いたからといって、そんなことは一切気にする必要はないんだからね。関係ないんだからね。典ちゃんの人生なんだから。」

すると、彼女はこう答えたのだ。

「私は、やはりノースウエスト航空に行きます。自分が一番苦しかった時期に、自分の心を救って下さった会社だからです。そして、ノースの試験を続けていくうちに、試験官をはじめ、会社の人たちのことが心から好きになったからです」。

そう言って彼女はノースウエスト航空に入社した。

それから十数年経ったころに、また彼女はある選択をしなくてはならないことが起きた。

フライトを続けながら、新人のトレーニングも担当していた彼女に、ノースウエスト航空からスーパーバイザーにならないかとの打診があった。

私は内心、「オ―、これで典ちゃんも出世できる!」なんて喜んだものだ。

しかし、彼女はそのポジションを辞退した。丁度、お母さんが体調を崩されていて、一人っ子の彼女が看病しなくてはならなかったからだ。

「私辞退しようと思うんです。スーパーバイザーになると、忙しくなり、責任も重く、物理的に無理だと思い、半端な仕事しか出来ないのではと思うのです。それに、自分は純粋に機内でお客様に接することに遣り甲斐を感じているんです。そのことが楽しいんです」と言った。悩んだ結果、そう結論を出したのだと思う。

彼女はそんな人なのだ。人生の選択をする時に、見かけや形よりも、今何が大切かを考える人なのだ。そんな彼女を私は心から信頼することできる。

また彼女は、スカイビジネススクールの後輩育成にも携わってくれた。今思い出すと笑が込み上げてしまうのだが、後輩たちの顔を見るや否や、「貴方たち、本気ですか!」なんてドスのきいた声で怒ることもあった。

ノースウエスト航空は、戦後、1948年に、世界で初めて日本に就航した外資系航空会社である。また日本航空の設立時には、技術面などで多大な貢献をした。そうした背景があるが、2008年4月に、デルタ航空との合併に合意し、2010年1月をもって、社名は「デルタ航空」に変更された。

ノースウエスト航空をとても愛していた彼女は複雑な心境だったに違いない。しかし、彼女は今も元気にデルタ航空で飛び続けている。フライト職に就いてもう二十数年になる大ベテランだ。

彼女との付き合いは今も続いている。一人っ子の彼女は、私の息子が小さなころから弟のように接してくれていた。

高校生だった息子と休暇でハワイに滞在している時に、典ちゃんがフライトでやって来た。三人で「ナイト・クルージング」に出掛けた思い出がある。首にレイをかけ、三人で観光客用に撮られた大きな写真。今でも大切な思い出として保存してある。

今度は、息子がニューヨークで勉強している時に、やはり典ちゃんはフライトでニューヨークに。クリスマスイブというのに大学生の息子と並んで撮った写真もある。街の輝くツリーの前で、なにか二人それぞれ…淋しげに。

そんな楽しい彼女だが、仕事への姿勢は厳しい。現場で後輩たちを多数育ててきた。そして航空業界を牽引し続けてきた一人でもある。

いつまでも変わらない彼女の姿勢を誇りに思う。  奈良順子

2010/12/23
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