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「謝辞」奈良 順子

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「謝辞」 (旧)スカイビジネススクール 学院長 奈良 順子

三十年余念続けて参りましたスカイビジネススクールは、私の大学卒業を機に閉校致しました。微力ですが、これから更に活動の場を広げ、人々の役に立てるような自分に成長していきたいと思います。

旧スカイビジネススクールは生徒三人から始めた寺小屋でした。そんな当初より応援して下さり、当スクールのパンフレットに激励のお言葉をお寄せ下さいましたシンガポール航空元日本支社長Sim様、毎日コミュニケーションズ元会長江口様、東京外国語大学元学長鐘ヶ江先生に心より御礼申し上げます。皆さまのお言葉を指針とし多くの生徒を育てることができました。ここに改めて御礼申しあげます。

同じく、長年激励下さいましたシンガポール航空元人事部長平様、元日本支社長付秘書神蔵様、元スーパーバイザー相原様、小宮山様。ノースウエスト航空元部長益井様、スタンプ様。ブリティッシュエアウエイズ元人事部長志田様。マレーシア航空元人事部長中田様、その他、数々のエアライン関係者の皆々様、どうも有難うございました。また、(有)中央広告社、先代社長、現社長大沢様、社員の皆さま、心温まる応援を有難うございました。ご逝去されお目にかかれない方もおられますが、皆さまの温かなお気持ちは私の心から消えることはありません。

すでに亡き父と母に心より感謝致します。いつも見守って下さい。

皆さま、これからもどうぞ宜しくご指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。大変僭越ではございますが、此処に心より御礼申し上げます。 

                      2010年12月26日 奈良 順子



(旧)スカイビジネススクールの指針となったパンフレット


スカイパンフ小
 

スカイ推薦小

<上、パンフレットより転載>


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奈良 順子
スカイビジネススクール学院長

「国と国の壁を越え力強く仕事が出来る人材を」 奈良 順子

国際線スチュワーデスを始め、大手外資系企業・大使館・外務省・NASA等、多くの卒業生を国際舞台に送る事が出来ました。人材育成及び英語教育は講師の情熱ですべてが決まり、それに生徒がどれだけ食いつくかだと思います。数々の難問を一つ一つ乗り越え、国際人として大空に飛び立つ彼らの姿を通し、熱意と忍耐力があれば個々の目的は必ず達せられるものだと再確認しております。本校を信じ入学される生徒の純粋な気持ちと若いエネルギーを何よりも大切に、力強く仕事が出来る人材をこれからも大いに送り出していきたいと思います。



     
シムパンフ顔
Nara-san used to be a flight stewardess on Singapore Airlines. With SIA’s reputation of having the very best inflight service, I am sure sheis used to very high standards. May I wish her all the very best in her stewardess classes and may she turn out graduates who are as capable as she is. Good Luck!                

シムサイン
K. W. Sim
                EX Area Manager Japan
                Singapore Airlines Limited



ブログ江口 
江口末人
毎日新聞社「毎日デーリーニュース」元局長
毎日コミュニケーションズ元会長

オリジナルの教材を作り全身で教えるという教育の原点をそのまま実施されているようですが、奈良さんの着実な姿勢と意欲に眼を洗われる思いがしました。 航空会社の応援を受けチュワーデスの育成もしておられる由ですが、‘働く’と云うことは専門知識・容姿などの要求以前に、困難に耐える根性が最も肝要であります。着実にマイペースで、親身な指導をされていけば必ず素晴らしい大きな結果を生み出すものと信じて疑いません。




鐘ヶ江タイトル
きちんとした語学力を身につけることは大変忍耐のいるものです。一人一人に充分に時間をかけ、個性を大きく伸ばしていく手作りの教育を是非貫いていただきたい。会話と学校の英語力が同時に身につく指導法は大変理想的と思われます。誰もが信頼できる優秀な人材をこれからも大いに国際舞台に送り出して頂きたく、期待しております。


「旧スカイビジネススクール・フォト&メッセージ」

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「どんなに時代が変わっても、文化がちがっても、サービスの 『本質』 は不変」

生徒三人から始めたスカイビジネススクールでしたが、世界の国営級エアラインをはじめ、国際機関、外資大手企業等、五大陸に約5千名の生徒を排出することができました。数千にものぼる皆さんから貴重なメッセージを頂きました。スペースの関係でほんの一部しか掲載できませんでしたが、私の胸に全員のメッセージが刻まれています。どうもありがとう。皆さんが巣立ってから時代は大きく変化しています。しかし、どんなに時代が変わっても、文化がちがっても、サービスの 『本質』 は不変です。スカイで学んだことを忘れることなく、どんな困難なことにも負けないで、自分らしく人生を切り開いていって下さい。元気な再会を楽しみにしています。

旧スカイビジネススクール 学院長 奈良順子


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スカイビジネススクール卒業生からのメッセージ

荒井 淳子
一度しかない人生の考え方、仕事や人との接し方など、未知のことを初めて学び、発見する驚きの連続だった。英語のみならず、人生で最も大切なこころの在り方を学ぶことが出来た。

山口 深雪
ビジネスの実践に立った時、時間厳守は最も大切なこと。こうした細かいことを徹底的に教えて頂いた。奈良先生に教えて頂いたこと、そして、留学しバークレー校で学んだことの全てを活かし国際的な場で頑張っていきたい。スカイ一期生として誇りを持ってベストを尽くしていきたいと思う。

惣賀 優子
高校しか出ていない自分だったが、「やる気を認めてもらうんだ」という気持ちで外資系の銀行を受験した。100人の中で1人だけ合格することができた。他人がくだらないと思うことでも一生懸命やっていきたいと思う。

関戸 まゆみ
後輩たちのために、微力ながら何らかの形で少しでも幅広く国際社会の道を開拓していくのが私たちがすべきことだと思う。

岡野 雅美
スタートラインは皆同じだと思う。まず決心したら気を抜かないことだと思う。それを続けて行く中に、一夜では得られない喜びがあり、思いやりが生まれ、人々との交流の中で学ぶ様々な人間関係がある。今ある状況の中で一生懸命頑張ることが、スカイビジネススクールに対し私たちが出来る唯一の恩返しだと思う。

氏橋 鉄也
学んだことは数限りない。授業の前後で仕事の厳しさを自然のうちに身につけられた場所だった。このことは、「自分がお客様に仕事を楽しませて頂いている」という醍醐味につながっている。スカイビジネススクールは今もなお心の拠りどころであり、自分自身の原点となっている。

坂本 典子
最後の最後まで全力を尽くすこと。精神的に弱かった私をいち早く見抜きいつも励まして下さった。感謝の気持ちは言葉では語り尽くせない。今も学んだことの全てが心の中で躍動している。

青柳 晴美
毎回の授業は魂と魂のぶつかり合いで講師も生徒もいつも戦っていた。どんな状況であっても自身を見失うことなく道を切り開き、たくましく生きていく為の術をたたき込まれた場所だった。その真剣勝負の中からもたらされたものは、現在、航空業界をはじめとする、様々な世界で活躍する卒業生たちの精神として確実に生き続けている。

井出 勇人
夢を信じて、そして、続けること。それを持つ勇気。このことがいつも自分を支えてくれた。「努力を忘れてしまったら前に進めないのよ。良い仕事も出来ないのよ」と奈良先生に言われた。このことは今も自分の心から消えることはない。

遠藤 千春
「日本と韓国の橋渡し的な存在になりたい」と思った。今ではすっかり韓国人クルーの中に溶け込み、乗客に「日本語が上手な韓国人」と間違えたりもする。でも自分にとって文化の違う外国人と真にわかりあうということはまだまだ難しい。「ありがとう」という気持ちが互いに通じ合えるようにこれからも頑張っていきたい。

荒井 久美子
スカイとの出会いは自分を大きく変えてくれた。授業は英語ばかりではなく日常生活や仕事に対する姿勢など幅広いものだった。「24時間寝ないで考えなさい」といつも先生に言われた。授業は厳しかったが、それに慣れてくると、自信を持てるように変わっていった。

伊藤 清美
自分に負けてしまったら何も始まらない。自分で自分を信じなければ誰も信じてくれない。それを生かすも殺すも自分次第だ。目標に向かって努力を重ねていけば必ず道は開ける。でもひとつの目標を達成したことは決してゴールではない。これからも色々なことがあると思う。一 つひとつを乗り越えていきたい。

太田 芳治
一人の人間として社会に出るための総合的な教育を受けられたことは、エアラインで勤務する今も大きな自信に繋がっている。

星 裕子
サービスとは、1プラス1が必ずしも2にならない、と教えられた。自分自身を磨き、その答えを5にも10にもしていこうと思った。このような授業の中で沢山の宝ものを頂いた。

中山 礼子
英語、日本語、一般教養と一瞬も気の許されない徹底した授業だった。国際社会で働く厳しさを教えられた。だから今の自分がある。

菅原 靖子
目標を達成することは自分自身との戦いであることを気づかされた。何事も失敗を恐れず前向きに努力する強さがいかに重要か。そうして初めて自分と向き合い自分を理解し自分を表現する事ができるのだと思った。これからも強い気持ちを持ってフライトを続けていきたい。

梅田 洋右
授業は全てがとてもハードだった。英語の授業も何か表面的な受け答えをしても、すぐにその答えに対して質問で返されてしまう。単語などの用法も厳しく指導されてしまう。自分はそんなだった。予習復習をしなければ満足できる授業は受けられない。だからこそ今がある。

粟賀 由紀
一から発音など徹底的に叩き込まれた。壁にぶつかる連続だった。でも壁を乗り越える度にまた一つ自分が夢に近づいたと感じることが出来た。決して最後まで諦めない。このことが大切なのだと気づくことが出来た。

田中 昌
目に見えないプレッシャーと全く予測がつかない未来に向かって毎日が不安だった。言葉では言い表せないクラスメイトたちの迫力、強さ、集中力に圧倒された。自分は何を迷っていたのか。何をするべきなのか。それは前進あるのみだと教えられた。自分に対する不安は自分の甘えだと気づくことが出来た。悔いのないように目の前のことを精一杯やらなければ前に進めないと思った。

星野 かおる 
日本系航空会社の客室乗務員として10年が過ぎた。どうしてもヨーロッパ系のキャビンクルーとして乗務したいと諦め切れなかった。フライトしながらの勉強は大変で睡魔との戦いだった。学んだこと一つひとつが今も生きている。 

中台 未希
最後の結果が分かるまで悩み、苦しみ、とても長く感じた。弱気になった事もあった。そんな精神状態の中で大切な事を学んだ。それは最後の最後まで全力でぶつかる事。

柿崎 冨久実
二十四年間のこれまでの人生は、いつも楽な方、楽しい方へ身をおいてきた。どうにかなるだろう、という勝手な自己暗示をかけていた。でも何も結果は出なかった。授業は想像をはるかに超えて厳しく誰もが真剣だった。スカイは自分の人生で初めて真剣になれた場所だった。

森 靖之
アメリカの大学を卒業して帰国したものの、思うような仕事に出会えなかった。自分は駄目なんじゃないかと思った。しかし、諦めたらここでおしまいと自分に言い聞かせた。諦めず自分を信じ努力すれば必ず結果は出る、と今実感している。

首藤 名奈子                   
5年間のアメリカ留学から帰国し、初めて何千人もの人が受ける就職試験の厳しさを知った。最終試験の前日、先生に「自分の言いたい事全部言ってしまえば後悔しない」と言われ度胸が座った。素直に自分の思っている事を試験官に伝えることが出来た。

田中 麻衣                  
8年のアメリカ留学を終え帰国した。自らの夢を実現するために全力を尽くしてチャレンジしたい。自ら掲げた高いゴールに向かって、自分自身打ち込むことが出来た。夢を実現させる感動を今味わうことが出来た。”
                
磯山 栄子
生徒の夢を叶えてあげたいという先生方の熱意と、生徒全員がその熱意にこたえようと一生懸命努力する。それがスカイだった。

高野 理恵                
納得いくまで頑張りたい!頑張っている「つもり」の自分に気づき、初めて本気で取り組むようになった。英語は全く話せず、日本語までめちゃくちゃな私が国内外の四社の航空会社に合格できたのは木目の細かい授業のおかげだと思う。

宮本 武
大学3年の3月に始めての授業を受け、緊張のあまり何もいえなかったあの日がつい昨日のように思える。自分の努力を惜しむことなく自分の道を切り開いて行けば絶対なんとかなる。

上里 景子
スカイでの日々は「何者でもない自分」から逃げ出さず、それに向かい合い、戦った日々だった。苦しい時期を乗り越えられた合格だった。
              
嶋谷 彩香
先生方は本気で私に向かってきてくださった。それが結果として、あらゆる角度から自分を見つめ直し、よく考える癖をつけられるようになった。本当の意味で運をも味方にしていく力強さを得られたと思う。”          

森口 華
自分が持ち続けた夢を実現させる。とても辛い時期もある。でも一度やると決めた事を、無我夢中でやってみることが大切だと思う。

中田 陽子
「新卒だから」と甘えた考えを変えてくれたのがスカイだった。

菊池 美帆
いつも不安だった。表面的な言葉で答えるのではなく、自分自身を見つめ、ありのままの自分を表現する事がどんなに素晴らしいか学ぶ事が出来た。
               
松下 貴子
スカイでは「落ち込んでいる暇など無い」と、全てエネルギーに変えることが出来た。素直さと謙虚さ、そして誰にも負けない熱意があれば、必ず夢は現実のものとなると思う。”

服部 玲子                
毎回の授業をしっかりこなし、自分のものとすることは、時に苦しいものだった。それを乗り越えることによって確実に自分の力をつけることが出来た。”

遠藤 玲子
エネルギーある級友・先生方に出会え、大きな刺激の中で頑張ることが出来た。このことで大きな一歩を踏み出すことが出来たのだと思う。”

友田 晶子
接客業についているから有利と思う自分のおごり、そして反対に英語に対する自信の無さなど多くの問題を抱え、不安ばかりだった。授業を繰り返していくうちに、夢が近づいていくことを実感した。

土屋 英伸
自分の気持ちを相手に100%伝える技術がこんなに難しいのかと痛感させられた。これからスカイで教わったことを本当の意味で表に出す時だと考えている。

阿部 直也
以前の自分は、「面接ではこうでなくてはナラナイ」と自分で勝手に理解し、結局合格を手にすることが出来なかった。スカイではそんな上辺のことが全く通じなかった。その授業が合格につながったと思う。

川島 友子
信念を持って自分の意思を貫き通すことの素晴らしさ、そして心から自分の思いを相手に伝えることの大切さを学ぶ事が出来た。

清田 真理子
「過去」を後悔するでもなく、「未来」を夢見るわけでもなく「現在」自分が出来ること、やるべきことに精一杯取り組むようになれた時、夢を掴むことが出来た。

緒方 めぐみ
「何故そう思うのか」「何故そういえるのか」といつも考えさせられた。そのうちに自分を見つめられるようになった。このことが自分の目の前の壁を破ることにつながった。
               
鈴木 美恵子
自分を変えることができた。日頃の生活態度、仕事への姿勢、そして「諦めないこと」の本当の意味を知ることができた。スカイを卒業してもなお、私の中で根を張っている。

鈴木 恵
これから先、苦しいことがあるかも知れないし、今がそうかもしれない。そんな時どうするか。逃げるか、それとも努力して何とかそれに打ち勝つか。乗り越えようとして、一生懸命やってみることだ。道が拓けてくるかも知れない。このことをスカイで学ぶことが出来た。

中村 文彦
たとえどんな悩みがあろうと、日々努力すれば必ず道は開ける。この事を皆に伝えたい。自分を信じ、自分のどんな夢も決して諦めないで欲しい。

【仕事観】「氏橋 鉄也さん」奈良順子

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氏橋 鉄也さん
英国「ブリティッシュエアウェイズ」キャビンクルー
(旧)スカイビジネススクール卒業生

スカイの卒業生は私にとって誰もが大切な教え子であり、全員に想い入れがある。

そんな中、飛び切り信頼できる卒業生がいる。

現在、ブリティッシュエアウエイズのキャビンクルーとして勤務している氏橋 鉄也さん。二十数年勤務の大ベテランだ。

彼が信頼されるには、幾つか理由がある。

ひとつは、彼ほど実直な人はめったにいない。彼は、当初、同航空会社に、正社員の空港勤務職員として入社した。 入社が決まった時に、私は彼にこう言った。言ったというよりも「言ってしまった」ということなのですが。。。

「空港勤務の新人になるのだから、2時間前位に出社しなさいョ。次の新人が入社するまでは」。

私は、次の新人が入社するのは、せいぜい半年後くらいだろうと気軽に考えていたのだ。

ところが、とんでもないことが起こってしまった。次の新人が入社したのが、数年後だったのだ。私はなんてひどいことを言ってしまったのか。 。。と内心悔いていた。

それなのに、彼は忠実に2時間前の出社を貫いた。いち早く職場に行き、仕事の段取りをし、事務所の掃除をし、先輩たちのお茶の用意までした。

何十歳も年上の大先輩たちばかりの職場だった。ベテラン社員たちは、そんな彼の姿勢を見逃さなかった。彼は空港勤務をこなしながら、「お茶の仕入れ係」まで担当するようになった(なってしまった)。しかし、どんな仕事も手を抜かずやり抜いた。数年後に次の新人が入社した時には、彼はどんなに安堵したことか。 それ以上にほっとしたのが私だった。

そんな彼に転機が訪れたのだ。

彼はもともとフライト職を希望していた。

空港勤務の仕事もしっかり身につけたころ、彼にチャンスが訪れた。ブリティッシュエアエイズが、初めて日本人男性クルーを採用することになったのだ。彼は難関を突破し、同社初の日本人男性キャビンクルーに抜擢された。そして、驚くほどの高給取りとなった。

当時は、こうした実直な青年の姿勢を高く評価し抜擢するという会社が多く存在した。まさに、厳しくも夢のある時代だった。

彼は、このように超「実直な人」なのだ。

彼を信頼できる二つ目の理由は、サービス業、人々を心から好きでいる、という彼の想いだ。

サービス業の醍醐味をよく心得ている。簡単に使われる「サービス」という言葉以上に、サービスの深さと喜びを熟知しているようにみえる。

彼はとても恵まれた家庭環境に育ち、特別フライト職に就かなくても、何時でも自分で企業を興せる環境にある。それでも、BAのキャビンクルー採用試験官などを歴任しながらも、フライトを続けている。国を問わず、人種を問わず、人間が好きだからフライト職に拘っているのだと思う。 そんな彼の姿を見て、サービスの醍醐味を本当に楽しんでいるのだ、と、反対に教えられることがある。

最後になるが、どんな時も自分の姿勢を貫くところがすごい。不況の影響でエアライン業界は厳しい現状にあるが、彼の姿勢はまったく変わらない。右往左往することもなく、サービスの本筋を貫いている。まさに航空業界の牽引者、芯となるリーダーなのだと思う。

このように、どんなに環境や状況が変わろうとも、サービスという本質を深く捉え、人々に対する姿勢を崩さないところが素晴らしい。

また彼は、スカイの後輩たちのこともどれだけ大切に育ててくれたことか。時間をかけ、苦労して自ら学んだサービスの醍醐味を体現し、後輩たちに伝え続けている。

実直で、人間が好きで、姿勢を崩さない。こうした彼の「仕事観」が、私を含め、多くの人たちの信頼に繋がっているのだと思う。

いつも謙虚な彼は、「とんでもありません。そんなすごいことはしていないです」なんて、いつものように、ハニカミながら言うだろう。だが、これからも、私に対しても、スカイの仲間に対しても氏橋君流の援護射撃をしてくれることと思う。

さて、こんなに氏橋君のことを褒めてしまうと、「順子先生、私は?僕は?」ということになるだろう。確かにそれは言える。

氏橋君をはじめ、皆さんは、ナショナル・フラッグキャリア時代の良き時代を知る最後の人たちなのだ。各国の文化の香りがする「航空業界」で、世界中の人たちに出会えたことに感謝して欲しい。そんな素晴らしい時代の体験が出来たことを誇りに、これからも航空業界をはじめ、どの世界・業界にいようとも、良き時代を思い出し、牽引し続けて欲しいと願う。

どんなに時代が変わろうとも、「良いものは良い」ということに確信を持って欲しい。そう出来る人が、真に輝く人なのだと思う。お金や、地位や、名誉や、形ではないんですよ。

氏橋君をはじめ、様々な分野で頑張っている皆さんの姿が輝いて見える。なんて素晴らしいことかと思う。奈良順子

2010/12/24

【仕事観】「坂本典子さん」奈良順子

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坂本 典子さん
米国「デルタ航空」フライトアテンダント
旧スカイビジネススクール卒業生

(旧)スカイビジネススクールの卒業生は、エアライン業界を支えてきた人たちであり、文化の香りがした航空業界の先駆者たちでもある。 そんな彼らを私は全員信頼することができる。

その中で、坂本典子さんは、特に印象深い卒業生の一人だ。現在彼女は、ユナイテッド航空に並び、世界最大手といわれる、米国「デルタ航空」でフライトアテンダントとして勤務している。

なぜ彼女を信頼出来るかというと、彼女の物事に対する考え方が素晴らしいと思えるからだ。そして、自分が決めたことに対し、心を込めて淡々と続けていく。

私が知る限りでは、彼女は2度大きな決断をしなくてはならない時期があった。

一つは、働く場所となる企業の選択だった。

彼女は第一志望であったヨーロッパ系最大手のエアラインに合格した。訓練に出発する日取りも決まり、勤務していた銀行を退社した。しかし、湾岸戦争が始まるかどうかの不安定な時期で、急きょ訓練のための出発が見送られた。彼女は自宅待機となってしまった。不安定な情勢は思った以上に長引き、本国での訓練の目途はたたないままだった。

もうすでに銀行も辞めてしまった彼女は途方にくれていた。いつ終わるか分からない戦争に対する不安な日々が続き、エアライン業界もダメージを受けていた。自分はもう入社出来ないかもしれないという絶望感もあったにちがいない。そんな状態で1年半が過ぎていった。

彼女は痛々しいほどだった。頑張って頑張って第一志望のエアラインに数百倍もの倍率を突破し合格したのだ。他の航空会社を受験するなんて考えられなかったのだろう。しかし、私は、他のエアラインを受験してはどうかと勧めた。

色々考え悩んだ末、彼女は受験することを決めた。丁度、フライト職を募集している米国「ノースウエスト航空」を受験した。一次、二次、三次、四次と、試験が進むにつれて、ノースウエスト航空に真剣に向き合うようになったのだと思う。数百倍の倍率を突破し合格した。 訓練でアメリカに行く日取りも決まった。

そんな矢先、ヨーロッパの第一志望であった航空会社から、訓練に出発できるとの通知を受け取ったのだ。

彼女の心は揺れているに違いないと思った。

私はこう言った。

「典ちゃん、ヨーロッパの会社に行ってもいいのよ。ノースにはご迷惑をかけるけど辞退すればいいんだから。それに、私がノースに昔いたからといって、そんなことは一切気にする必要はないんだからね。関係ないんだからね。典ちゃんの人生なんだから。」

すると、彼女はこう答えたのだ。

「私は、やはりノースウエスト航空に行きます。自分が一番苦しかった時期に、自分の心を救って下さった会社だからです。そして、ノースの試験を続けていくうちに、試験官をはじめ、会社の人たちのことが心から好きになったからです」。

そう言って彼女はノースウエスト航空に入社した。

それから十数年経ったころに、また彼女はある選択をしなくてはならないことが起きた。

フライトを続けながら、新人のトレーニングも担当していた彼女に、ノースウエスト航空からスーパーバイザーにならないかとの打診があった。

私は内心、「オ―、これで典ちゃんも出世できる!」なんて喜んだものだ。

しかし、彼女はそのポジションを辞退した。丁度、お母さんが体調を崩されていて、一人っ子の彼女が看病しなくてはならなかったからだ。

「私辞退しようと思うんです。スーパーバイザーになると、忙しくなり、責任も重く、物理的に無理だと思い、半端な仕事しか出来ないのではと思うのです。それに、自分は純粋に機内でお客様に接することに遣り甲斐を感じているんです。そのことが楽しいんです」と言った。悩んだ結果、そう結論を出したのだと思う。

彼女はそんな人なのだ。人生の選択をする時に、見かけや形よりも、今何が大切かを考える人なのだ。そんな彼女を私は心から信頼することできる。

また彼女は、スカイビジネススクールの後輩育成にも携わってくれた。今思い出すと笑が込み上げてしまうのだが、後輩たちの顔を見るや否や、「貴方たち、本気ですか!」なんてドスのきいた声で怒ることもあった。

ノースウエスト航空は、戦後、1948年に、世界で初めて日本に就航した外資系航空会社である。また日本航空の設立時には、技術面などで多大な貢献をした。そうした背景があるが、2008年4月に、デルタ航空との合併に合意し、2010年1月をもって、社名は「デルタ航空」に変更された。

ノースウエスト航空をとても愛していた彼女は複雑な心境だったに違いない。しかし、彼女は今も元気にデルタ航空で飛び続けている。フライト職に就いてもう二十数年になる大ベテランだ。

彼女との付き合いは今も続いている。一人っ子の彼女は、私の息子が小さなころから弟のように接してくれていた。

高校生だった息子と休暇でハワイに滞在している時に、典ちゃんがフライトでやって来た。三人で「ナイト・クルージング」に出掛けた思い出がある。首にレイをかけ、三人で観光客用に撮られた大きな写真。今でも大切な思い出として保存してある。

今度は、息子がニューヨークで勉強している時に、やはり典ちゃんはフライトでニューヨークに。クリスマスイブというのに大学生の息子と並んで撮った写真もある。街の輝くツリーの前で、なにか二人それぞれ…淋しげに。

そんな楽しい彼女だが、仕事への姿勢は厳しい。現場で後輩たちを多数育ててきた。そして航空業界を牽引し続けてきた一人でもある。

いつまでも変わらない彼女の姿勢を誇りに思う。  奈良順子

2010/12/23

【仕事観】「青柳 晴美さん」奈良順子

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青柳 晴美さん
米国「ユナイテッド航空」フライトアテンダント
(旧)スカイビジネススクール卒業生

青柳 晴美さんは、世界最大といわれる、米国「ユナイテッド航空」にフライトアテンダントとして入社し、長年無欠勤を通すなど、仕事に対する姿勢は半端ではない。

パーサーとしても乗務する青柳さんだが、今日までの道のりは、決して平たんではなかった。

大きな試練を二度も乗り越えなくてはならなかったからだ。

一度目の試練は、なかなか夢を果たせなかったこと。そして、二度目は、やっと夢が叶い、入社したユナイテッド航空が、2001年のテロ事件に巻き込まれ、経営危機に直面したことだった。

二度の試練を、精神的にどう乗り越えたのか。

彼女は、日本の最大手電気メーカーで10年勤務していた。しかし、世界を舞台に仕事をしたいと、転職を決意した。だが、夢はなかなか実現しなかった。超難関といわれる国営レベルの航空会社に合格することは容易ではないからだ。

その時の心境を、彼女はこう語った。

「決心して、チャレンジしたことなので、駄目かもしれない、とか、どうしよう、という不安な気持ちはありませんでした。前に進むことだけを考えていました。尽きた、という感じがしなかったのです。確かにしんどかったけれど、一方では、すがすがしい、ここまで走れたのだから、もっと走れるという、反対に、自信がついていったような気がします。諦めるなんてことは考えもしなかったのです。しかし、一度だけ本当に落ち込んだことがありました。」

「その時、『自分と向き合って』と、先生に言われ、ハッとしました。意地になって諦めないと思うのではなく、周りと比べるのではなく、時間をかけても自分を高めてい。このことが大切なのだ、と気づいたのです。最終的には、自分自身の内面を見つめることなのだ、と・・・」。

それからまもなく、超難関の「ユナイテッド航空」に青柳さんは合格し、入社した。

こうして喜んで入社したのだが、次の試練が訪れた。

9.11のテロ事件の影響で、ユナイテッド航空が危機的状況に陥ったのだ。

彼女は、当時のことをこう振り返る。

「頭の中が真っ白になりました。その時、自分は何が出来るのか、を考えました。毎回、これが最後のフライトになるかも知れない。でも、やはり、自分は最後の一瞬まで、一回一回のフライトに全力を注ごうと、思いました。そして、危機から一ヵ月が経ち、会社から、フライトは続行されるとの朗報を受けたのです。その時は本当に嬉しく、自分を採用してくれたこの会社を、この仕事を、自分は心から愛している、とその時思えたのです。このような厳しい現実があることを知り、これから先、何が起ころうと、今日一日、今日一日と、自分が出来ることを全力でやっていこう、と決心しました。このことが反対に、自分を強くしてくれたように思えるのです」 。

この時期の彼女は精神的にとても大変だっただろう。しかし、そんな時も、いつもと変わらぬ力強い姿勢で、成田から、高田馬場の(旧)スカイビジネススクールに直行し、後輩育成を成し遂げてくれた。その姿はとても印象深く、今でも私の目に焼き付いている。

「スカイの後輩育成を最後まで担当させて頂いたから、当時のユナイテッド航空の危機を、自分は精神的に乗り越えられたような気がします。スカイの後輩たちにも強い人になって欲しいと思いました。スカイビジネススクールがあり、後輩たちがいたから、心が折れなかった。自分の心が折れてしまってはいけないと思ったのです」。

相変わらず、ユナイテッド航空で、元気にフライトを続けている青柳さん。

この二つの試練は、彼女にとって非常に辛いことだったに違いない。

しかし、彼女の強い精神力で乗り越えたのだ。こうした彼女だから、仕事に対する姿勢には一本の筋が通っている。 半端ではない。

「仕事観」や「人生観」とは、自分が多くの苦難を乗り越え、後からついてくるものだと思う。それだけ重い哲学ではないだろうか。安易な口先だけの「仕事観」「人生観」とは、重さがちがう。

目の前の試練を、精神的にどう乗り越えるのか。彼女は、その清々しさを見事に体現している人ではないかと思う。これからも、ちょっとのことでは動じないだろう。彼女は腹が据わっている。

青柳さんは、芯が強く、まっすぐな人だ。そんな彼女を、私は心から誇りに思い、信頼することができる。また、胸を張ってそう言える自分は幸せ者だと思う。

最後に、彼女のメッセージを紹介したい。

「一つひとつのことに、人より時間をかけたことで、ようやく見つけられた事も沢山あります。そうして身につけたことは、絶対に忘れることがありません。これってすごい財産だと思うのです。苦しかったり、悔しかったり、ジタバタしたことも、その全てが、今、を生き抜く為のカラダとハートの筋肉になっているのだ、と実感します。それが、自分のプライドとなっています。人より時間がかかってしまったけれど、その分、うまくいかない人たちの気持ちが理解できるようになれた。遠回りしたから、今があると思えるのです」。

2010 /12/22